資生堂が掲げた「企業文化」【先進企業に学ぶ企業アーカイブの取り組み(4)】
では、公開すればどういうことがあるかと言いますと、企業の独自性の確立、ブランド構築のための有効的手段として認識される。
要するに、ブランディングとしての大きな役割を持つということが主張されています。
それから、企業の精神性や価値観を社会一般に広く広げる手段になる。企業のポリシーや考え方を社会に知らせる。「あの会社はどういう会社なのかな。もうけだけなのかな」ではなくて、社会的貢献をする会社であるということが、企業の付加価値を高める。
博物館などの文化施設のみならず、いろいろな法人や企業においても、予算や人員を割いて積極的に進められるようなアーカイブ事業の取り組みが始まっている。
日本ではまだ相当遅れていると言われています。特に進んでいるのは、アメリカ、ヨーロッパだと思います。
ここから資生堂の話をさせていただきます。
資生堂について私が今さら申し上げることはないのですが、創業は日本に鉄道が開業したのと同じ明治5年です。
銀座大火の後できるのですが、創業者は海軍病院の医局長で、薬の専門家だったのです。
矢野、前田、福原という3人が、最初に三精社という薬局で創業させます。
それを昭和2年、今の資生堂にしていくのですが、現在では資本金が645億円の大企業で、いわゆる多国籍企業です。
グループ企業が85あります。
本社は東京の銀座にあります。その会社のことを紹介させていただきます。
先ほど申しましたように、もともとは洋風調剤薬局、資生堂という名前で、銀座で創業します。
現在の資生堂パーラーがあるところが、東京銀座の資生堂ビルです。
1915年(大正4年)に創業者の三男の信三が社長に就任しますと、事業の主軸を薬から化粧品に大きく移します。
このころから、だんだん女性の社会進出が始まるぞ、と読んだのだと思います。
女性は美しくなければならないというのが彼のモットーだったようですが、彼は非常にハイカラな男で、当時は珍しかった意匠部、宣伝デザインの部門を社内に置きます。
彼はまた、「企業文化」という言葉を使い始めます。
企業風土ということはよく言われますが、風土とは自然に備わっていった会社の体質のようなもので、なかなか変えることができません。
結構頭でっかちの人、頭の固い人もいるじゃないですか。
それを変えていって、これからはこういう経営をするんだという自分の企業理念を前面に押し出し、そのためには企業文化という考え方が必要だ。
その企業文化を皆さんに知ってもらい、もっと積極的な経営ができるようにしたいということで、「企業文化」という言葉を使い始めたようです。
写真は、水野卓史『資生堂宣伝部日記』(文藝春秋企画出版部)から。
本書から資生堂の企業文化を読み取ることもできる。
産業考古学会理事/Business Archives Lab.主任研究員
小西伸彦